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巨人軍 高橋優貴投手 の紹介 sportnavi

2019.07.08

sportnavi に 巨人軍 高橋優貴投手の紹介がされました
https://sports.yahoo.co.jp/column/detail/201907050003-spnavi
是非見てください
打たれ続けて育った巨人ドラ1・高橋優貴
菅生での日々がなければ今の自分はない
  

「良くなるかも」と見初められ東海大菅生へ

高校時代の恩師との出会いが、高橋優貴の野球人生において大きなターニングポイントとなった
高校時代の恩師との出会いが、高橋優貴の野球人生において大きなターニングポイントとなった【写真:山下隼】

 ルーキーイヤーから先発としてマウンドに上がる巨人のドラフト1位・高橋優貴と、東海大菅生高・若林弘泰監督が出会ったのは、今から8年前の2011年夏、高橋が友部シニアに所属しているときだった。友部シニアのチームメートが東海大菅生高への進学を希望し、若林監督が友部シニアのグラウンドに見に行ったとき、友部シニアの原田明広監督が、「このピッチャーもどうだろうか。良くなると思うんだけど」と薦めてきたのが高橋だった。

 

 原田監督は元プロ野球選手(巨人)、若林監督も元プロ(中日)。年齢も同じということで、以前から親交があり、しっかりピッチャーを育ててくれるだろうという思いも込めて高橋を若林監督に紹介した。

 

 当時の高橋は、本人いわく「チームの2番手か3番手で。球速も、中学3年夏の東アジア大会で出た118キロが最速。球も速くないし、ぱっとしないピッチャーでした」というが、若林監督は高橋のピッチングを見て、まず「面白い」と思ったという。「球は速くないけど、投げ方がきれいで、何より球の質がいい。これは良くなるかも」と。

 

 高橋は、一度、東海大菅生高に見学に行った後、「ここで野球をやりたい」と受験。翌春から、東海大菅生の一員として高校野球生活をスタートした。

 

「先輩たちがすごく厳しい環境の中で野球に取り組んでいる姿を見て、最初は『うわー』って。でも、こういうところで野球ができることもいいな、こういうところでやっていかなきゃなって自分なりに思っていました」

 

 そんな高橋は、同じ新入生で同じ左腕の小林大(国際武道大〜現・エイジェック)とともに入学早々Aチームに抜擢され、練習試合でも登板機会を与えられる。

 

「シニアでエースでもなかった自分が高校1年からすぐ投げられるなんて思っていなかったので、自信がまったくないまま投げていました」という高橋だが、その夏、1年生ながらベンチ入り。西東京大会、3回戦の都立四商高戦ではピンチの場面で2番手投手として登板し、押し出しで先制点を与えてしまう。その試合は先輩たちが打ってくれて逆転勝ちしたものの、「チームを背負ってマウンドに上がることの怖さ、勝負の難しさを感じた1年夏でした」と振り返る。

打たれまくる高橋が心身ともに成長していく

高校2年生の夏、若林監督の期待を受け背番号1を託された高橋は西東京大会に臨んだが、結果は…
高校2年生の夏、若林監督の期待を受け背番号1を託された高橋は西東京大会に臨んだが、結果は…【写真:山下隼】

 1年秋からは、上級生投手陣に加わり同級生左腕・小林とともにマウンドを任せられるようになった。チームはブロック大会こそ勝ち抜いたが、東京大会の初戦で敗退。翌13年春の東京大会では、高橋の3試合連続好投もありベスト8入り。夏のシード権は取ったものの、準々決勝の二松学舎大付高戦では順調にきていた高橋がつかまり、0対23という屈辱的な点差で敗れた。

 

 それでも若林監督は、高橋の将来性や可能性を見て、また、高橋を信じ、夏の西東京大会で初めて背番号1を渡した。「2年生だけどいいものを持っている。やってくれるんじゃないか」と、そんな期待も持って……。

 

 だが、「結果はさんざんでしたね」と若林監督。

 

「都立府中東高との試合で、3年生の斉藤峻也を頭(先発)でいって、高橋にリリーフさせたら7回に同点に追いつかれて。その後、8回に勝ち越したものの、最終回も高橋はピンチを招いて……ようやく勝ったんです。

 

 次の多摩大聖ヶ丘高戦では、小林が抑えて8回まで2点差で勝っていたものの、9回表、小林がランナーを二人出したところで高橋を出したんです。そしたら、タイムリーを打たれて1点、押し出し四球で同点。ボークで逆転(笑)。その後、3年生の斉藤を出してゲッツーでチェンジ。その裏、ランナーを二人出し1年の勝俣翔貴(現・国際武道大4年)がレフトオーバーのサヨナラ打を打って何とか勝てましたが、もう、ボロボロ(笑)。次の都立永山高戦では高橋を先発させたらいきなり2点取られて交代。5回にやっと逆転して勝ちましたが、その次の準々決勝の創価高戦は1対2でサヨナラ負け。高橋は投げさせずに負けて終わりました。こんな感じで、2年夏の高橋は、まったくいいところなしでした(笑)」

 

 高橋も「2年春は良かったんですが、夏はストライクは入らないし、打たれるし、全然ダメで……」と、思い出すのもつらいという表情。

 

 1つ上の先輩たちとともに甲子園に行く道は断たれた。

打たれ続けて育った巨人ドラ1・高橋優貴
菅生での日々がなければ今の自分はない

 

 

変化は最高学年を迎える冬に

高校生活最後の夏に向けて励む2年冬、「気持ちに変化が生まれた」と当時を振り返る高橋
高校生活最後の夏に向けて励む2年冬、「気持ちに変化が生まれた」と当時を振り返る高橋【写真:山下隼】

 2年秋、順調に力をつける同級生左腕・小林に背番号1を明け渡したものの、高橋は東京大会の1、2回戦で完封。大一番となった3回戦の二松学舎大付高戦では小林が先発し、1点リードされて迎えた8回裏に小林が1点を加えられたところで高橋にスイッチ。すると高橋は、2死二、三塁のピンチを招き、相手投手にセンター前ヒットを打たれて2点献上。1対5。9回に1点を返したものの、2対5で敗れ、翌春の選抜甲子園への道も閉ざされた。

 

 若林監督は「9回に1点返して、なおもチャンスという場面がきただけに、8回のあの2点がなかったら試合は分からなかったかなと。ほんと、高橋はここ一番でことごとく打たれるんですよ」と苦笑いで振り返る。

 

 期待を込めてマウンドに送り続ける若林監督の思いになかなか応えられず、「悔しいのと、申し訳ない気持ちでどうしようもなかった」という高橋だが、そこから少しずつ、少しずつ強くなっていく。

 

「1年秋から2年春にかけての冬は、(両足親指の)巻爪の手術をして出遅れて年末年始の強化練習も満足にできなくて……。中途半端にしかできないまま春夏を迎えてしまったという思いがありました。秋も二松学舎大付高に負けて翌春の選抜甲子園がなくなって、このままじゃダメだと。それまでも一生懸命やってきたつもりではいたんですが、ラスト1回の3年夏の甲子園に向けて、ここからの冬場、自分が頑張らないと、と強く思ったんです」

 

 そんな高橋の気持ちの変化に若林監督はちゃんと気付いていた。

 

「高橋が変わったといえば、2年から3年になる冬。練習で走る姿、ピッチングに取り組む姿勢、いろいろな場面で目の色が変わっていったことをこっちも感じましたね。まだまだではありましたけど(笑)」

 

 若林監督は、そんな高橋のため、チームのため、新しいトレーニングを加えるなどしてモチベーションを上げていく。高橋は、それにしっかりと応えていった。

うまくいかず泣く高橋、気にかける若林監督

結果を残せずズタズタになった高橋の息を吹き返した若林監督の言葉とは?
結果を残せずズタズタになった高橋の息を吹き返した若林監督の言葉とは?【写真:山下隼】

 目の色を変え、冬の練習を本気の本気で取り組んだ高橋の球速は、3年春のころには132〜3キロまでにアップ。練習試合を見に来たプロのスカウトから「球質がいいし、伸びもある。近い将来、140キロは出るようになるでしょうね」と高評価を得るようにまでなった。

 

 春の東京大会では、初戦となった2回戦の淑徳高戦で4回を投げ被安打1の零封、3回戦の桜美林高戦では先発の小林をリリーフして完封リレー。

 

 だが、4回戦の日大三高戦でも先発すると、高橋は初回、メッタ打ちを食らいKO。代わった小林も打たれ、二人で初回に10失点。0対12、5回コールド負け……。

 

 再び高橋はズタズタになった。

 

「冬、結構頑張ったつもりだったんですけど、全然ダメで……。まだまだ足りないってことを思い知らされて。試合では打たれるし、押し出しもしちゃうし。若林監督には『高橋のせいで負けるんだ』って言われて、本当にそうだなと。どうしてダメなんだろうって悔しくて、悔しくて……」

 

 ピッチングどころかフィールディングもうまくいかなくなり、夏前の練習時、高橋は抑え切れず、一人、ネット裏にある屋内練習場で泣いていたことがあった。

 

「今までできていたフィールディングまでできなくなっちゃって、どうにも気持ちが抑えられなくて……。誰にも見つからないところに行ったつもりが、なぜかそこに若林監督が来たんです。『そんなとこで泣いてんのか! なっさけねーなー』って。なんで自分がそこにいることを若林監督が分かったのか、いまだに不思議なんですけど、それだけ監督は僕ら選手たちのことをちゃんと見ていてくれ、気にかけてくれているんだって思いました」

 

 若林監督も振り返る。

 

「投内連係の練習をしたとき、フィールディングはできない、けん制はできないってなって。そんな練習の後、高橋がいなくなって……。探したら、屋内練習場の暗いところでうなだれて泣いていてね……(笑)。『早く行け!』って言っても動けない(笑)。高橋なりに懸命にやっていたのは分かっていたんですが、うまくいかなくて気持ちを抑えられなかったんでしょう」

 

 そんなどん底に気持ちが落ちた高橋に、若林監督がある言葉をかけ、息を吹き返す。

 

「自分を使い続けてくれた監督、信じてくれていた監督、野球だけじゃない人としての部分をたくさん教えてくれる監督……夏こそ絶対勝ってこの監督を甲子園に連れて行くんだ」と再び立ち上がった。

 

 そこから高橋の球速は何と、145キロまでアップ。夏の甲子園への階段を一つひとつ上がっていったのだ。

 

(企画構成:株式会社スリーライト)

高橋優貴(たかはし・ゆうき)

【写真:山下隼】

1997年2月1日生まれ。茨城県出身。背番号12。投手。左投左打。178センチ、82キロ。プロ1年目。東海大菅生高では1年秋から主力投手として活躍。3年夏、西東京大会で決勝に駒を進めるもののサヨナラ負けを喫し、あと一歩のところで甲子園出場を逃した。進学した八戸学院大では1年春のリーグ戦デビュー以降、毎シーズン、ケガすることなく登板を重ねていく。大学4年間で積み重ねた奪三振数は北東北大学リーグ新記録の301を数え、“みちのくのドクターK”の異名をとった。2018年ドラフト1位で読売ジャイアンツに入団。開幕6試合目の阪神戦でプロ初登板初先発すると、6回1失点の好投で見事初勝利を挙げる。大卒新人では1960年青木宥明以来、球団59年ぶりとなる初登板初勝利。巨人の新人が、伝統の一戦(巨人対阪神)で初登板初勝利を収めたのは史上初の快挙だ。

 

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