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フルスイングの意味(2018年4月24日)

梅ヤン野球Eye

 1979年(昭54)8月1日、岡山に住む小学6年生だった僕は広島市民球場にいた。年に1回、広島―巨人に連れて行ってもらうのが最高の楽しみで、三塁側スタンドに陣取った。

 

 試合は序盤から巨人の大量リードで、広島ファンで埋まったスタンドは殺気だっていた。さらには巨人西本投手がその回、2人にデッドボールを与えて、スタンドもグラウンドも不穏な空気だった。

 

 打席には鉄人衣笠。いつものように全身でリズムをとりながら打席に入ると、顔の前でぐいっとバットを構えた。ところが、西本の得意のシュートを背中に受け「ボコッ」という音とともにあおむけに倒れてしまった。日本記録の1イニング3与死球だ。すぐに、両軍ベンチから選手やコーチが飛び出した。巨人捕手の吉田が三塁側に吹っ飛ばされた。スタンドも大騒ぎだ。大人たちは全員立ち上がっていた。

 

 衣笠は…まだ、仰向けだ。ただし、心配して駆け寄った西本に顔を向け何かを叫んだ。「…ろっ !! 」。怒号が飛び交う中、その声だけは聞こえた気がした。2人の退場者をだした乱闘はまだ続いていた。

 

 衣笠が「僕はいいからベンチに戻りなさい。危ないぞ」といった内容の言葉を西本にかけたとの記事を、しばらくたってから目にした。僕は今でももっと短く「逃げろっ !! 」と叫んだのだと思っている。

 

 肩甲骨を骨折した衣笠が翌日代打で登場して、3球連続空振り三振したのは、今も名場面として語られる。連続試合出場記録がかかっていたとはいえ、打席に立つのは奇跡だった。

 

 試合後フルスイングの理由を語り、「1球目はファンのために、2球目は自分のために、3球目は西本君のために」とぶつけたことを気にした若手投手を気遣った。「先輩だから、うまくよけてあげればよかった」とも付け加えたという。相手投手がいなければ、フルスイングはできない。生涯野球を愛した衣笠だからこその言葉だった。

 

 23日、衣笠が71歳で亡くなった。39年前の夜の映像が、何度もニュースで流れた。ただしその試合、乱闘後の広島が、6点差を追いつき引き分けたことはほとんど触れられていない。同点劇は盟友山本浩二の2本塁打が演出した。こちらは、傷ついた仲間のために奮起したフルスイング。その年、広島は球団史上初の日本一となった。

 

 末筆ながら、生涯の思い出をいただいた、衣笠祥雄さんのご冥福を、心よりお祈りします。

 【コーチK】